ニートからのフィリピン語学留学

専門学校に復学したけど授業料を払わず除籍になり、あれやこれやでフィリピンに語学留学したお話。

前回の続き

ニートになった

ゲストハウハウスの住み込みを卒業し、僕はニートになった。

復学する予定だったが、どうも学費が勿体無く感じるようになった。学校にもいかず、ニートしていた僕はいつの間にか除籍にされた。

インド政府奨学金からの返事はいつくるかわからない。そんな中、専門学校時代からやっていたプログラミングの独学を、再びやっていた。なぜなら暇だったから。
また、インド留学は「無理かもしれない」と悟っていたので、別の道を探している最中でもあった。

この間は治験に行ったり、日雇いバイトに行ったり、軽作業(という名の重労働・・)をやっていたり、なんだか迷走しているような時期だった。まじで将来どうしよ〜っと不安に思ったこともある。

プログラミングを学びにフィリピンへ

お見送り祝いの一品!

専門学校時代、僕は野生動物&環境保護専攻と言うコースに在籍していた。その時に、他の人とは違う角度から環境問題に対して取り組みたいと思い、少しずつプログラミングを独学で始めていた。

ニートをしてたある日、インドで知り合った大学生が、フィリピンでプログラミングを学べる語学学校があることをSNSで発信していた。

限りある貯金をどこに投資するかを考えた結果、僕はフィリピンへ行くことを決めた。

住み込みをしてたゲストハウスの人たちに見送られて、再び僕は海外へ出かけた。

あのゲストハウス に人々にはすごく感謝している。ニートしていた僕にとって、そこが唯一の社会との繋がりに思えたからだ。

フィリピンで得た学びより、そこで得た繋がりの方が大事だったりする

シヌログ祭りという、かなり大規模で謎な祭り

フィリピンでの暮らしと語学学校のおかげで、僕はある程度の会話なら英語でできるよになった。

プログラミングに関していうと、独学でかなりやっていたので、あまり期待するような成長はなかった。

ただ、そこで僕の講師だった人から今仕事を請け負っているので、繋がりというものは後々になって意味を成してくるな〜っと思う。

プログラミングに限らずだが、何かを学ぶというのは結局のところ、どれだけ本人がやる気を持って挑むかがほとんど(全てではない)ではないだろうか。
フィリピンで留学中に気づいたことだが、同じものを学んでいる人が近くにいる、もしくは繋がってるというのは、モチベーションに大きく関わってくる。だから大体の事がYoutubeで独学できる時代でも、人が集まるスクールってのは無くならないのかもね。

そんなことを思いながら日本の「日常」に帰っていったとさ。

次回、プログラマーとして就職するぞ!っと思っていたが、ニュージーランドへ行っちゃいました。